式亭三馬『浮世風呂』
二編(女湯之巻)②の主な登場人物

さみ(三味)
18~19歳の芸者で、三味線弾きであることから、お三味さんと呼ばれている。原作で彼女の会話は「おさみ」「さみ」と記される。(※現代仮名遣いでは「しゃみ」になるが、あえて旧仮名遣いのまま「さみ」と表記する。)

ばち(撥)
30歳くらいの芸者で、お三味さんの仕事仲間。三味線を鳴らすバチの名から、お撥さんと呼ばれている。原作で彼女の会話は「おばち」「ばち」と記される。

湯汲みの男
銭湯の従業員で、熱い風呂に水を足して湯加減を調整する。同僚の「流しの男」ほどではないが、女湯で客と冗談を言い合う間柄である。原作で彼の会話は「湯くみ」と記される。

流しの男(三助)
浴場を整理し、客の背を流す銭湯の下男。俗にいう「三助」。住み込み奉公が4~5年になり、来年頃には番台に座る「番頭」に昇格すると噂されている。女湯で日々女性客の背中を流し続けるうちにすっかり打ち解け、客にぞんざいな言葉遣いで接することが許されている。原作で彼の会話は「ながしの男」「男」と記される。
現代語訳
前回のあらすじ
お三味に置いていかれて、少し腹を立てているお撥は、急いで服を脱ぎ棄てて風呂の中へと入っていく。ようやく顔を合わせた二人の会話が湯舟で始まる。

今の、おめえの所へ寄ったらの、おめえん所の母さんが言うには、『たった今行きやした、今しがたまでおめえの来るのを待って居たわな(=待っていたよ)、どうもあの子はしょにん(=不親切)だねぇ』
お撥はさらに話を続ける。

何の角と嬉しがらせる奴さ。ホンニおめえの母さんは世辞者だのう。いっそ世事がいいよ(=愛想がいいよ)。おらが所の母さんと来ちゃァ、小ごとばァっかり言って、うるさくってなるもんじゃァねえ(=どうにもならねぇ)
お撥は先ほどお三味の家に寄った際、すでに先に銭湯に行ってしまった娘のお三味に対して、母親が愛想よく「どうもあの子は不親切だねぇ」とうまくフォローしてくれて、うちの小言ばかりな母親とは大違いだと言う。
しかしお三味にとっては、お撥さんこそ羨ましい部分もあるようで――

いいわな。その代わりに父さんが気がいいから良いわな

あんまり気が良すぎるから、常日一夜(=いつも)母さんに叱られてばっかし居るわな。父さんの贔屓をするじゃァねぇが、傍で歯痒い様だよ
小言ばかりでうるさい妻と、気が良すぎていつも妻から叱られている夫。その様子をいつも歯痒い想いで見ている娘で芸者のお撥。そして話は昨晩の出来事に――

コウコウ、おめえ夕べは大酒屋か

アァ(=そうだよ)、おめえは

わたしは蛭子講の座敷(=宴)さ。丁度八ツ(=午前二時頃)に帰ったわな

わたしもそちこち八ツ前だった
二人とも夜の二時頃まで客の相手をしていたようで――

無理酒を飲んだから、これ見な。いまだに目が腫ぼってぇよ

道理で色(=顔色)が悪い
そこまで話したところで――

オォ、熱い

熱いか。弱虫だのう

弱虫じゃァねえわな。おめえも熱かろうが。この子の様な意地の突っ張った子はねぇよ。トントントントン、ちっとうめて(=水を足して)おくれ

今うめました。モウなりません(=これ以上は足せません)
熱すぎる風呂を埋める(水を足して薄める)ようにと指示するお撥に対して、「弱虫だのう」とからかうお三味に加わって、湯汲みの男もちょっと湯を薄めただけで「モウなりません」とわざとからかう。

今うめたもすさまじい(=これで埋めたとは冗談ではない)。まだ熱いからうめや。負いねぇ(=手に負えない)三助だのう
浴場を整理し、客の背を流す銭湯の下男を三助という。

三助と言っちゃァ、尚うめません
ここの風呂加減を調整する権限を持つ湯汲みの男は、そう言ってさらにからかう。

そんなら三助大明神さま、拝みます
こうしている間に、ようやく湯汲みの男は水を埋める。

サァ、かきまわしなさい

いやだよ、誰がかき廻す物か。コウコウ、ここへ沈みな、水の来る所へ。アレサ、まんがちな(=身勝手な)
「かきまわしなさい」「ここへ沈みな」と口悪く戯言を言い合いながら、お撥は先ほどの話の続きに立ち戻る。

コウ、お三味さん。おめえ一昨日どこへ行った
どうやら一昨日は休暇だったようである。

芝居へ

フウ、お客とか(=お客と一緒に?)

ナァニ、桜丸で(※桜丸=身銭を切って自分の金で行ったの意味)

ヲヤ、誰と

猫文字さんの所から誘われたからの。おづるさんと豊たぼさんと一緒に行ったわな。おめえの所へ人をやったら、者通さん(=芸者通)と堀の内(=現杉並区堀ノ内の妙法寺)へ行ったと言うから
猫文字さんもおづるさんも豊たぼさんも、皆お三味と同じく三味線弾きの名前(※)である。
※猫文字さんの「文字」は常磐津節の常磐津文字太夫から、豊たぼさんの「豊」は富本節の家元富本豊前太夫から。「たぼ」は若い女性の隠語で「豊たぼ」は富本節を語る女性という意味。おづるさんの「づる」は、浄瑠璃関係者の間で三味線の隠語。
お撥も芝居に誘おうとしたが、すでに芸者通と妙法寺に出掛けたあとだったという。

そうさ。まだ見ねぇが(=新作の芝居を見ていないが)、誰がいい

紀伊國屋さ(※紀伊國屋=歌舞伎役者の四代目澤村宗十郎)

そうだろうよのう、業腹な(=腹が立つ)。跡の替り目(=前回の芝居)も見損なったよ
芝居は一興行四十日ほどの周期(替わり目)で出し物の狂言が新しくなる。お撥はここのところ、芝居を観に行くチャンスをことごとく逃している。

芝居がはねた(=終わった)から、丸三(=堺町の芝居茶屋まるや三郎兵)へ寄って、三さん(=丸三の主人)に礼を言って出たらの、二階でエヘンエヘンと言うから、仰向いて見たら、大勢首を出して居たわな。声色の弥七さんとのし松さん(弥七・のし松は声色を芸とした実在の芸人)が詞をかけたっけ。その他は誰が居たか、早々かけ出して来た。アァまだ熱いようだ。サァサァ、出よう出よう
芝居茶屋の丸三を出たところに声色で人気の弥七さんとのし松さんがいて、自分たちが邪魔だったのか二階から首を出した大勢から「エヘン、エヘン」と言われて、他に誰がいるか確かめないまますぐにその場を離れたという。
そこまで話し終えたところで、また風呂が熱くなってきたので流し場に出ると、流しの男(三助)が留桶と小桶の二つに湯を汲んで背中を流しに来た。

サァ、お撥さん。背中を出しなせぇ
と洗いかける。

コレ、この人はまぁ。俺が先に来たものを
※俺は女子も使った
流しの男がお撥の背を先に流しはじめたことに、お三味は不満をたれる。しかし彼はそんなことはおかまいなしで――

どっちでもいい。どうで一緒に帰る者だ
実はこの流しの男、来年頃には流しから、番台に座る番頭に昇格すると噂されている人物である。この家に四~五年もの長い間奉公しているため、常連の女たちと親しくふるまい、ぞんざいな言葉遣いが認められているやつである。

コウ、丁寧に扱ってくんな
そんなお撥の要望もむなしく、ぞんざいなのは言葉遣いだけではなかったようで――

いけぞんぜえな(=いい加減だな)。二三べん擦るかと思うと(=二三回こするかと思ったら)、湯をぶっかけてお仕舞にするのう(=終わりにするんだな)

大概でいいことさ(=これくらいで十分さ)。垢だっても毎日出る者でねぇ
そこへお三味が口を挟んで――

そう言いなさんな。お撥さんはの、猫背中ときているから、鼠の糞のような垢がよれるよ
お撥さんは猫背だから、鼠の糞のような垢がとれると、お三味は猫と鼠を掛けた冗談を言う。

エェ、置てもおくれ(=よしておくれ)。いい口だのう(=憎い口だ)

また喧嘩をしようと思って、モウモウ水の吹っかけ競は悪いぞ(=喧嘩の吹っ掛け合いは良くないぞ)。アァ、やかましい娘どもだ。ソレよし。サァサァ、お三味さん。背中を出さっしゃい

ソレ、出さっしゃった。洗わっせぇ。ぞんぜえな(=無礼な)親父だのう
と、しばらくからかい合いが続いたが、長くなるので略す(※原文ママの訳文)。
これにてお三味とお撥の場面は完。続いて三十四~五歳のお上さま(夫人)と二人の娘(八歳くらいのお玉と二歳くらいのお杉)の母娘が風呂に入りにやって来る。
本の基本情報
<原作>
書 名 『諢話浮世風呂』
該当箇所 二編 巻之上 女中湯之巻
著 者 式亭三馬
初版刊行年 1810(文化7)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
<底本>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
<参考文献>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
●磐城まんぢう 訳『式亭三馬 諢話 浮世風呂』2023年、宝虫プロダクション
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