式亭三馬『浮世風呂』
前編(男湯之巻)③の新たな登場人物

隠居
70歳ほどの隠居老人。袖無羽織に丸頭巾をかぶって杖をついている(※江戸時代の典型的な隠居姿)。昨晩はほとんど寝付けず、丁稚を連れて朝から風呂へやって来る。

鶴吉
12~13歳の丁稚(商家に年季奉公する雑役の少年)で、隠居の付き添い。隠居の下駄の上げ下げや荷物持ちをしているが、台詞はない。

ぴん助
年齢不詳の若い男。隠居とは「御隠居さん」「ぴん助(ぴん介)どの」と呼び合う。素直で、ちょっとドジな面がある。原作で彼の会話は「ぴん」と記される。
現代語訳
前回のあらすじ
番頭が中から戸を開けて、銭湯の店開きをする。その時を待っていたよいよい病のぶた七と二人の若者人は、朝湯に一番乗りする。
二人は裸になり、素足の「●」は、よいよいの方を向いて声を掛ける。

また滑るめぇぜ。おぉ寒い。今朝はめっぽう寒いナァ

『と(同行の早口)でござい』やな。同行でござい、同行、どぎょ、どぎょ
※「同行でござい」は浴槽へ入る時の挨拶言葉
そう言って「▲」も駆け出して、「これ、はいな」と、風呂のざくろ口から腰をひねって入る。

よいよいも裸になって、手ぬぐいを意気地なく前へ当て、向こうをにらみつけつつ慎重な動作で、蠅がらくり(折り紙細工の箱の中に蠅を入れて動かせる遊戯)の足取りで歩む。
そして、「ヤ、やっとこさ」と言ってざくろ口をくぐると、よいよいは――

御免ね、御免ね。暑、暑、こいちゃァちい(=こいつは熱い)。滅法だ(=大変だ)。石川五右ェ門だァ、石川五右ェ門だァ
そう言って、釜煎りの極刑に処された石川五右衛門になぞらえて湯舟をまたぐと、熱さに顔をしかめながら、負けん気で鼻歌を歌い出す。

♪アァ今は吉田町で、ねんとど(=寝んころ)、ねんとどよ
※吉田町(現墨田区石原町)は下級遊女(売春婦)の立ちんぼ拠点として有名だった。「寝んころ」は幼児を寝かしつける言葉、「ねんごろ」は男女が情を通じること。

こいつァ勇みだ(=男気だ)。アそりゃ、ハそりゃ
よいよいの鼻歌に、男二人が調子の良い掛け声でおだてるものだから、よいよいは”いよいよ”図に乗って大声で歌い出す。

♪夫で、ねんとど、ねんとど、とどとろねん
続いて、表のほうからやって来たのは、紙子(和紙で作った着物)の袖無羽織に丸頭巾をかぶった、七十ばかりの隠居老人である。十二~三歳の丁稚に浴衣を持たせて、口をむぐむぐしながら杖にすがりついている。

御隠居さん、今日はお早うござります

どうじゃ番頭どの。だいぶ寒くなったの

ハイ、そろそろ加减(=気候の感じ)が違って参りました

イヤ、違った段(=季節の変わり目)ではない。コレ鶴吉よ、履物を用心しろ
隠居は履物のことを丁稚の鶴吉に言いつけると、板間へ上がり、耳わきに挟んでいた数珠を外して鼻紙へ挟みながら、昨晩のことを話し出す。
※当時は、数珠を耳に挟む習慣があったらしい。

ヤァ、夕べは寝そびれて困り切ったて。それに犬めが、ヤァ鳴いた、鳴いた。この歳になるが、夕べほど犬の吠た晩は覚えぬ(=覚えがない)。それからまず、ちゃんと支度して、布団の上に座って、煙草をぱくりぱくりのんで、しばらく考てていた所が、さて寝られぬ。
七十年ほど生きてきて、昨日ほど犬が吠えた晩はないと言う隠居だったが、これは地震の前触れだったようで――。話は夜の見回りへと移っていく。

そうでもない(=こうして布団で座っていることもない)。内の用心(=火の用心や戸締り)を見ようと思って、手燭(持ち運び用の蝋燭台)を持って表裏を見たが、別条(=いつもと違う事)もなし。又もとの床へ這入ったが、イヤ若い者というものは、よく寝るものだ。おれが起きて家内を気をつけて歩くに、ひとりでも目のさめた奴がない。あれだから油断はならぬて。コレハ、ぴん助どの。早かったの
皆が寝ている間に家の用心に回ったと、いいことをした風に語る隠居。そこへ、少し遅れてぴん助が到着する。
ぴん助は、寝ている間に起きた地震が気になっているようで――

ハイ御隠居さんお早う。夕べの地震は何時でござります

それよ。あれからしばらくして七つ(=午前四時頃を知らせる鐘の音)が鳴ったから、八ツ半前(=午前三時前頃)だろう。九は病い、五七は雨に、四つひでり
地震が起きたのは八ツ半前と「八」が出てきたものだから、隠居はそこから「九は病、五七は雨に、四つひでり、六つ八つならば風と知るべし」という、地震が起きた時刻で健康や天候を占う歌を口づさむ。
地震の時刻が九つならば病が流行り、五つと七つならば雨が降り、四つならば日照りが続く。隠居は「四つひでり」で終えたが、六つと八つならば強風が吹く前触れであるとされている。
しかしぴん助は、どうやら勘違いしたまま続きを口づさみ――

七つ金とぞ五水りょうあれ
「木九からに火三ツの山に土一ツ、七つ金とぞ五水りょうあれ」は、木・火・土・金・水の生まれ性によって魂の数に差があるという誕生日占いの歌である。七と五が出てくるが、地震の占い歌とは別物だ。
※「五水りょうあれ」は「御推量あれ」を掛けている。

イヤイヤ、『六八ならば風と知るべし』じゃ

ほんにそうだっけ。魂の歌とはき違えた。道理で風邪をひいたような心持ちだ

イヤサ、吹く風の事さ
「六八ならば風と知るべし」と正解を教えてもらったぴん助は、今度は「強風が吹く前触れ」の風を「風邪をひく」のことと勘違いして返事をし、再び隠居に突っ込まれる。

ホイ、また違った。私はまた、九が病いとあるから、六八も風邪をひくだろうと思った
六八で風邪をひくから、九で病いになる。誕生日占いの歌よりは意味が近づいてはいるが、このタイミングでぴん助は敷居につまづき――

おっと、お危なう
そう言いながら、隠居に続いて風呂に入って行った。
本の基本情報
<原作>
書 名 『諢話浮世風呂』
該当箇所 前編 巻之上
著 者 式亭三馬
初版刊行年 1809(文化6)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
<底本>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
<参考文献>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
●磐城まんぢう 訳『式亭三馬 諢話 浮世風呂』2023年、宝虫プロダクション
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