【八編③】大阪名所めぐり<生玉・天王寺~住吉編>

十返舎一九著『東海道中膝栗毛』大阪編のあらすじを現代語訳でたどる「原作ダイジェスト」をお届けします。

大阪の旅(シリーズ完結編 八編)


観光初日<高津宮~道頓堀編>
夜の遊興<新町遊郭編>
観光二日目<生玉・天王寺~住吉編>

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このページで紹介する<生玉・天王寺~住吉編>では、前日に大阪中心部の名所めぐりをひととおり終えた弥次さんと喜多さんが、つづいて住吉詣へと大阪南部の街道筋を巡っていきます。

主人公

弥次
弥次
弥次郎兵衛(やじろべえ)
通称 弥次さん。旅の出発時点で、数え年の50歳(満49歳)。
妻を亡くした独り者で、能楽もの(なまけ遊んで暮らしている人)。旅先では次々と騒動を起こして失敗が尽きないが、口達者で洒落っ気があり、会話の中にたびたび教養をのぞかせる。
喜多
喜多
喜多八(きたはち)
通称 喜多さん。旅の出発時点で、数え年の30歳(満29歳)。
弥次さんの居候で、一緒に旅に出ることに。弥次さんの強烈なキャラクターと比較するとやや控えめだが、こちらも負けず劣らず失敗の尽きない人物で、似た者同士である。喧嘩っ早く口は悪いが、男前。

大阪編ではいずれも、弥次さんと喜多さんの名所めぐりに街案内人の佐平次が同行します。

『東海道中膝栗毛』
江戸時代の大阪名所<生玉・天王寺~住吉編>
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【見物⑥】生玉の餅つき芸を見物

生國魂神社(生玉神社)の案内標識
生國魂神社境内

宿の亭主河内屋四郎兵衛と住吉(=現大阪市住吉区)で落ち合うことになった弥次さんと喜多さんは、佐平次の案内で午前十時すぎに日本橋筋の宿屋<分銅河内屋>を出発し、まず<生玉のやしろ(=生國魂いくたま神社、通称いくたまさん)>に立ち寄ります。

餅つき芸の<粟餅あわもち曲舂きょくづき>はここを元祖としています。境内が見世物やさまざまな大道芸で賑わうなか、あわ餅の茶屋前を通りかかると、ハチマキをしてぎねを斜めに構えた男がおもしろおかしく歌いはやしながら粟餅をついて客引きをしていました。

男

サアサア、ひゃうばんで(評判で)ひゃうばんで(評判で)。元祖名代なだいあはもちのきょくづき(粟餅の曲舂)は、生玉や(屋)が家の看板、ソレつくぞ、ヤレつくぞ、アリャャコリャャつくつくつくつく、何をつく、あわつく麦つく米をつく。旦那はんがたにはともがつく。わかい(若い)後家御ごけごにやむし(虫)がつく。(略)ヨイヨイ、サッサッ、ひゃうばん(評判)ひゃうばん(評判)

弥次
弥次

おいらは年中うそ(嘘)をつくが きいて(聞いて)あきれらァ

餅つきの駄洒落に駄洒落で返しつつ、商売上手だと感心する弥次さんと喜多さんでした。

【通行】馬場先で女郎を宣伝

生國魂神社に隣接するホテル街(生玉町)
生國魂神社に隣接するホテル街(生玉町)

境内を出ると、表門の先につづく<馬場先通(=生玉表門筋)>に遊郭があり、なまめかしい女郎おやま芸子げいこが行き交っています。

茶屋めいた店の角に立つ男が、どこそこの置屋には船場辺りの医者の娘が女郎に出て特徴はうんぬん、どこそこの置屋には飴屋の娘が女郎に出て水飴みたいなうんぬんと、女郎の宣伝をしています。

喜多
喜多

左平さん、アリヤァなんだね

佐平次
佐平次

あれかいな、ここのおきや(置屋)に新造しんぞうが出ると、あないにいふて(言うて)呼屋をふれて(触れて)あるき(歩き)おるのじゃわいな

弥次
弥次

コリャめづらしい。ハハハハハ

ここで佐平次は「近くに用事があるから先に天王寺へ向かってほしい」と言い残してどこかへ行ってしまいます。土地勘のない弥次さんと喜多さんは、天秤棒を担いだこえ取り(大小便の汲み取り)のあとをついて「臭い臭い」と言いながら、和気あいあいと小便話を交わしつつ天王寺へと向かいます。

【見物⑦】広大な四天王寺を巡拝

四天王寺石鳥居(西門)
四天王寺石鳥居(西門)

<天王寺(=四天王寺)>の西門で、あとから追いついた佐平次がさっそく目の前の鳥居を解説します。

佐平次
佐平次

コレ見なされ。此(この)鳥居の額は、小野の道風のかいた(書いた)のじゃといな

小野道風の筆とされる石鳥居の額
小野道風の書とされる鳥居の額
弥次
弥次

なるほど、はなしにきいてゐやした(話に聞いていやした)が、コリヤァ何だか ね(根)っからわからねへ

四天王寺は聖徳太子が創建した日本最上の霊場(神聖な場所)です。小野道風の書にはピンとこなかった弥次さんと喜多さんでしたが、そこから先は我を忘れて境内をひととおり巡拝し、広大な寺院をあとにしました。

【通行】女乞食とお見合い道中

天王寺駅から見たあべの筋(旧熊野街道の一区間)
住吉大社につづく旧街道筋

四天王寺西門前から住吉大社に至る<安部街道(=阿倍野街道。熊野街道の一区間)>で道すがら、煙草がすいたくなった弥次さんは、誰かに火を借りようと、近くにいた二十歳くらいの女の乞食こじきに目を付けます。

喜多
喜多

ノウ弥次さん、見なせへ。乞食にしておくはおしい器量だ

弥次
弥次

ホンニあだしろものだ。コレ、手めへ男があるか

女

ハイ。亭主には去年わかれ(別れ)ましたわいな

良い縁があれば結婚したいと言う女に弥次さんは、「この男はどうだ」と喜多さんをすすめます。お互いに気に入った女と喜多さんは、さあ着物の支度だ結納だと話をはずませますが、ここで喜多さんは自らの身分が町人であることを明かします。

喜多
喜多

ハハハハハ、おれが乞食だと、手めへを女房にするものを。残念残念

女

わしやまた、そないにあかじみた(垢染みた)、しゅんだなり(みすぼらしい身なり)してじゃさかい、仲ヶ間(仲間)の衆かとおもふた(思うた)わいな

「町人には見えなかった」と素直な感想を述べる女に喜多さんが「いまいましいことを」と返すやりとりに、皆でなごやかに笑って、一同は女と別れ再び街道を進みます。

【通行】浪花名題の洒落者に遭遇

今宮新家(現天下茶屋北)
あいりん地区の南に接する今宮新家(現天下茶屋北)

<住吉街道(=紀州街道の一区間)>に出ると、<今宮新家(=天下茶屋北)>の団子屋の店先で金持ちそうな男が取り巻きをたくさん連れて、突然店の婆さんに店先の破れ障子を買いたいと金一分(千文)もの大金を差し出します。

実はこの大尽は河太郎かわたろう(船場の両替屋 河内屋太郎兵衛)といって、壮大な洒落を楽しむことで知られる浪花名題なにわなだい(大阪で評判)の人物なのです。※実在の人物

河太郎
河太郎

わしゃひなた(日向)あるくと、のぼせてわるい(悪い)さかい、コレ久助、コノ障子もて(持て)こんかい。コリャ、そちにも壱分やるハ。そのかはり、住吉までコウたて(縦)にしてもてあるけ(持って歩け)。ヲヲそふじゃそふじゃ

金に糸目をつけず手に入れた破れ障子を取り巻きに持たせて、自分はその日陰を歩いて住吉に向かおうとするあまりにぶっ飛んだ行動に、ここにいる誰もが驚きます。

喜多
喜多

おもしろいしゃれ(洒落)だぜ

弥次
弥次

コリャきめうだ(奇妙だ)

障子を日傘にした一行が街道を行くうちに、途中で飽きた河太郎が障子を放り出したので、それを弥次さんと喜多さんが拾ってさらに街道を進みます。

【通行】天下茶屋で一悶着

天下茶屋の是斎屋跡地(現天下茶屋公園)
天下茶屋の是斎屋跡地(現天下茶屋公園)

<天下茶屋村(=天下茶屋駅界隈)>の街道筋にある薬屋の<是斎ぜさい屋>は、旅人の休憩所になっています。その前を通りかかると、住吉講の月参を終えた集団が「万歳楽まんざいらくじゃ」と住吉詣で道中をゆくはやし言葉を唱えながら向こうからやって来て、障子を日傘のように持って歩く弥次さんと喜多さんをバカにします。

まんざいらくじゃ(万歳楽じゃ)まんざいらくじゃ(万歳楽じゃ)。ハハハハハ、アリャ何じゃい。日がさのかはり(日傘の代わり)じゃな。アノもて(持て)いきおるやつのつら見いやい。壇尻だんじり(山車)の印もちと、しゃうじもていく(障子持ていく)やつに、賢いつらはないもんじゃわい。ハハハハハ

喜多
喜多

コノさる松めら(馬鹿野郎めら)は、何ぬかしゃァがる

するとこの集団のなかの権七ごんしちという親仁おやじが、障子に大きく「善哉餅 三五団子 今宮新家 さいかちや」と書いてあるのを見つけて、「これはうちの店の障子じゃわい。盗んで持ってきたんだな」と喜多さんに食ってかかります。

障子をあちこち引っ張り合って言い争いが平行線をたどるなか、馬方が通りかかって障子に馬が当たってしまいます。

馬かた
馬かた

あいた(痛)いたいた(痛痛)。コレ金玉きんたまがなふなった(なくなった)。イヤきんたまはゑいが(金玉はいいが)、コリャ、おまいがたは、何ンでこのしゃうじ(障子)を、わしが馬へ打つけさんした。コリャ誰がしゃうじ(誰の障子)じゃい

おやぢ
おやぢ

わしがとこのじゃ

馬方は障子にきずがついてしまったからと、馬に障子をつけて団子屋に向かおうとします。それを団子屋の親仁が「待てやい、待てやい」と追いかけて、その後ろを他の皆が「万歳楽じゃ、万歳楽じゃ」と駆けていき、思いがけず馬方の登場で窮地を救われた弥次さんと喜多さんでした。

【立寄】亭主と住吉新家で再会

住吉新家(住吉停留所から東粉浜停留所の辺り)
ここから先(東粉浜停留所辺りまで)が住吉新家

ほどなくして3人は、道の両側に茶屋が連なる<住吉新家(=東粉浜界隈)>にたどり着きます。

喜多
喜多

アァどれもいい茶屋が見へる。御てへそふな(御大層な)

金魚、酢はまぐり、ごろごろ煎餅せんべい、唐辛子、昆布、竹馬、糸細工などの名産品を商う家がたくさんあるなか、料理茶屋は三文字屋、伊丹屋、昆布屋、丸屋などがあり、客の往来は絶え間なく非常に繁盛しています。<三文字屋>を覗くと、すでに船で到着していた河内屋四郎兵衛(宿屋分銅河内屋の亭主)が3人の来訪を待っていました。

河内屋
河内屋

コリャ左平次どの、はよごんしたの(早かったの)

弥次
弥次

わっちらァ、やうやうたった今めへり(参り)やした。まづ参詣いたしてめへりやせう(参りやしょう)

ひとまず3人は住吉大社に向かいます。

【見物⑧】住吉大社を参詣

住吉大社
住吉大社

<住吉の御社おやしろ(=住吉大社、住吉神社の総本社)>は、底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后をまつった四社から成り、他に摂社末社が三十ほど集まっています。

境内をくまなく回るにはあまりに広大なので、まずは御本社(4つの本殿)に参拝し、あとは場所を絞って巡拝したあと、最後は出見いでみの浜の海を望む<高灯篭(=住吉高灯篭)>を指さし眺めてから、急いで三文字屋に戻りました。

【食事】弥次さんと女の駆け引き

住吉新家の料理屋三文字屋跡地(住吉警察署辺り)
三文字屋跡地(住吉警察署辺り)

三文字屋の奥座敷で河内屋の亭主から酒と料理をごちそうになりながら、弥次さんは「自分にはこれといった職がなく、銭のない旅はつらい」と初めて弱音をもらします。それを聞いた河内屋の亭主は「男妾おとこめかけ(女に養われること)の口があるが、どうじゃいな」と話を持ち掛けます。

弥次
弥次

ソリャほんに(本当)かへ。どふぞそれがほんとうのことならば、わっちをナもし、ヘヘヘヘヘ、ハハハハハ

鼻をひこつかせて喜び「わっちをぜひに」と頼む弥次さんに、亭主はその女性について「三十四歳か三十五歳くらいのえらい美人で、船場あたりの大店の後家ごけ(未亡人)である」こと、「どうも役者を買って金を使ってしまうため、厄介のない男妾を抱えたいらしい」ことを伝えます。

しばらくすると、番頭を引き連れた後家(例の女性)が座敷にやって来たので、弥次さんはてんやわんやしながらも必死に後家にアピールします。

弥次
弥次

わっちはこれでも、うたもうたひ(歌い)やす、三味しゃみもかぢりやす(三味線も少しだけ弾ける)から、女中がたをころころと、おもしろがらせることがゑてもの(得意)でござりやす。そんな時には、とかくきゃつ(奴)めが、やきもちをやいて(焼き餅を焼いて)こまりきりやす

後家
後家

ホンニ、おまいさんは、どふやらおもしろそふな、おかた(お方)じゃわいな

すると、向こうの座敷にあらきちが見えていることを知った後家は急にそわそわとしだして、「みなさんこれにて、ハイさよなら」と去ってしまいました。やがて後家が黒縮緬ちりめん仕立てのあら吉を伴って、面白そうに笑いながら外に出ていきました。

河内屋
河内屋

ソリャあらし吉三郎(嵐吉三郎)といふて、今での立物たてもの(立役者)、としはわかし(年は若し)、おとこぶりはよし(男ぶりは良し)、おさか(大阪)一ばんの役者じゃわいな

喜多
喜多

アレアレ、弥次さん見なせへ。何か後家めがささやいて、こっちのほうへ指をさしてわらってゐるハ。大かたおめへのこったろう

弥次
弥次

いめへましい(いまいましい)。かわちやのおやかた(河内屋の親方)、おめへがうらみだ(おめえが恨みだ)おめへがうらみだ(おめえが恨みだ)

その時、雷がゴロゴロと鳴り響き、頭の上に落ちてくるような轟音が続きます。

弥次
弥次

今のぴしゃぴしゃで、はっとへたばったはづみ(地面にへたばった弾み)に、かの天狗の面のはなばしら(鼻柱)が ぽっきりといったやうだ。あいた(あ痛)あいた(あ痛)あいた(あ痛)

調子が戻った弥次さんに皆でどっと笑って、気持ち新たに酒を飲んで、亭主の手配した船に乗って一同は宿のある日本橋へと帰ってきました。

【完結】大阪からの旅立ち

弥次さんと喜多さんは、その晩も宿屋<分銅河内屋>に宿泊し、見残した大阪名所を見物してから大阪をたつことにしました。宿の亭主は2人の明るい性格を大いに気に入って、新しい衣類などを十分に持たせて旅立つ2人を送り出しました。

このたびは木曾路(=中山道)にかかり、草津の温泉に一回りあそび、善光寺へまはり(=参り)、妙義は留那(=妙義山、榛名山はるなさん)へ参詣し、めでたく帰国したりける。此記行みちのきは追てあらはすべく、まづはここにて筆をさしおきおわり

📖本の基本情報

『道中膝栗毛八編』(1809刊) 大阪市立中央図書館蔵
<原作>
書 名
 『東海道中膝栗毛』(当初のタイトルは『膝栗毛』『道中膝栗毛』など)
あらすじ箇所 八編(八編=大阪編、当初のタイトルは『膝栗毛 八編』)
著 者 十返舎一九
版 元 村田屋治郎兵衛(栄邑えいゆう堂)
初版刊行年 1809(文化6)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
内 容 弥次さんと喜多さんがお伊勢参りを経て京都・大阪を旅する全八編のシリーズ作品。大阪の旅は、最終八編の完結編にあたる。

参考文献

📖十返舎一九 作、麻生磯次 校注『東海道中膝栗毛(下)』1973年(岩波文庫 黄227-2)
📖十返舎一九 作、平野日出雄 訳『東海道中膝栗毛【現代訳】第三部 京都~大坂』1995年(十返舎一九の会制作、静岡出版発行)

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【あらすじで読む『東海道中膝栗毛』】初編①東海道の旅

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