【初編⑥】旅の三日目<小田原宿を出発~箱根宿>

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十返舎一九著『東海道中膝栗毛』のあらすじを現代語訳でたどる「原作ダイジェスト」をお届けします。
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初編⑥では、東海道最大の難所である箱根八里のうち、小田原宿から箱根宿までの四里にあたる石畳の山道を進んでいきます。

主人公

弥次
弥次
弥次郎兵衛(やじろべえ)
通称 弥次さん。旅の出発時点で、数え年の50歳(満49歳)。
妻を亡くした独り者で、能楽もの(なまけ遊んで暮らしている人)。旅先では次々と騒動を起こして失敗が尽きないが、口達者で洒落っ気があり、会話の中にたびたび教養をのぞかせる。
喜多
喜多
喜多八(きたはち)
通称 喜多さん。旅の出発時点で、数え年の30歳(満29歳)。
弥次さんの居候で、一緒に旅に出ることに。弥次さんの強烈なキャラクターと比較するとやや控えめだが、こちらも負けず劣らず失敗の尽きない人物で、似た者同士である。喧嘩っ早く口は悪いが、男前。
『東海道中膝栗毛』初編⑥
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日の出時刻に風祭の里を通過

箱根登山電車の風祭駅
東海道に面して
箱根登山電車の風祭駅がある

遠くから聞こえてくる鐘の音に、2人は夜明けと共に起き出します。そして身支度を整えて、小田原宿を出発しました。

今日辿るのは、かの有名な箱根八里の難所です。そろりそろりと爪先あがりで、堅い石がごろごろした山道を登っていきます。そのうちに<風まつり(=現小田原市風祭)>が近づいてきました。

喜多
喜多

コレコレ明松たいまつ(=松明)を買わねえか。ここの名物だ

弥次
弥次

べらぼうめ、もう日の出る時分、明松がナニ(=なんで)いるものか

喜多
喜多

夜があけてもいいわな。おめえ買ってとぼせ・・・ばいい。夕べのかわりに

なぜ松明が必要なのか不思議がる弥次さんに、喜多さんは松明を夕べのかわりにとぼせばいいとからかいます。

※松明を「ともす」と男女交合する「とぼす」を掛けている。

弥次
弥次

おきやァがれ(=いいかげんにしろ)

喜多
喜多

ハハハハハ、ハハハハハ

こうして山道を進むうちに、やがて日が昇って、箱根の玄関口湯本までやって来ました。

箱根湯本で挽物細工を購入

箱根湯本の街道筋で唯一の
箱根寄木細工の専門店

ここ<湯本ゆもと宿しゅく(=現箱根町湯本)>は、両側の家の造りがきらびやかで、どの家にも顔立ちが美しい女が2~3人ずつ店先に出て、名物の挽物ひきもの細工(お椀やお盆などの木工細工)の商いをしています。

喜多さんは1軒1軒のぞき見しながら、つい店先の女ばかりに目がいってしまいます。

喜多
喜多

ヲヤヲヤあらいの看板を見るように(=見るような)、顔と手先ばかり、しろい女がいらァ

弥次
弥次

なんぞかおう(=なにか買おう)。コウ(=コレ)あねさん。そこにあるものを見せなせぇ

2人が看板娘に店の品を見せてもらおうとすると、娘は外の客のほうを向いてしまいます。代わりに奥から店のババアが走ってきました。

弥次さんは嫌そうな顔をしつつ、店のババアが手に持っているたばこ入れが気になって、値段交渉を始めます。すると先ほどの娘が交渉に割って入ってきました。

弥次
弥次

時にいくらだ

娘

ハイ三百(=三百文)でおざりやんす

弥次
弥次

百ばかりにしなせえ

娘

おまいさんもあんまりな。あなた方のおかげで、かように(=このように商いを)いたしておりますものを、掛け値(=実際より値段を吊り上げること)は申しゃんせぬ

娘は値下げ交渉をする弥次さんをじろりと見て、元から高い値は言っていないと強気に跳ね除けます。すると弥次さんはたちまち女に甘くなって、元の値に歩み寄ります。

弥次
弥次

そんなら二百よ

娘

もうちっとお召しなさって下さいやせ。ヲホホホホホホ

娘は根っから可笑しくもないことを笑って、また弥次さんの顔をじろりと見てきます。

弥次
弥次

そんなら三百三百

娘

もうそっとでござりやんす。ヲホホホホホ

弥次
弥次

めんどうな 四百四百

そう言って弥次さんは、元の値段より百文も高い四百文(四文銭を百個つないだもの)を放り出して、商品を買い取ります。

弥次
弥次

北八 サァ行こう

娘

ようお出(=おいで)なさいやんした

こうして看板娘の強気な術中にまんまとはまり、高くたばこ入れを買うことになった女に弱い弥次さんでした。

権現参りの子どもに遭遇

「旧街道石畳」

この先2人は湯本を抜けて、石畳の山道を進んでいきます。

喜多
喜多

ハハハハハ、三百のものを、四百に買うとは新しい新しい

弥次
弥次

それでも惜しくねぇ。アノ娘はよっぽど俺に、気があったとみえる

喜多
喜多

おきゃァがれ(=いいかげんにしろ)。ハハハハハ

弥次
弥次

それでも初手から、俺が顔(=俺の顔)ばかり見ていたハ

喜多
喜多

見ていたはづだ。アノ娘の目を見たか。やぶにらめ(=斜視)だ。ハハハハハ

そこへいがぐり頭の子供が4~5人、2人に話し掛けてきます。

子供
子供

権現ごんげん様(=箱根権現、現箱根神社)へ御代参壱文いちもんやって下されチャ

喜多
喜多

ナニ御代参とはなんだ

子供
子供

此方衆こんたしゅう(=あなたたち)の代わりに参る(=お参りする)ハ

喜多
喜多

ナニおいらが代わりに。いずれを見ても山家やまが(=山里)育ち、身代わりにするつらがあるものか。ろくな首(=満足な顔)はひとつもない。イヤ時にアノかねはなんだ

「何れを見ても山家育ち」は、浄瑠璃や歌舞伎の演目「菅原伝授手習鑑」の中の有名な台詞です。

秀才菅原道真の身代わりになるような頭の良い子がいないのを嘆いたその台詞と掛けて、「大勢いる誰を見ても田舎育ちで、自分らの代わりに代参できるような満足な顔はひとつもない」と子供に向かって洒落てみせる喜多さんでした。

そのうちに、街道の急坂をくだった先に芦ノ湖が見えてきます。

石畳の街道を進むと箱根神社(旧箱根権現)の
鳥居に至り、その先に芦ノ湖が広がる

湖畔の「賽の河原」に鬼は来ず

賽の河原
弥次
弥次

さいの河原へ来たぞ 来たぞ

東海道の辻(直角になった地点)に位置する芦ノ湖のほとりには、多数の石仏や石塔が立ち並び、霊場「の河原」として知られています。

この河原には瓦屋根の地蔵堂があり、僧侶が集まってかねを鳴らし、念仏を唱えていました。

喜多
喜多

辻堂つじどう(=地蔵堂)は さすがに賽の かわら屋根 されども鬼は 見えぬ極楽

※この地蔵堂の”瓦”屋根と賽の”河原”を掛けている。賽の河原とは死出の旅の途中にある河原であり、地獄のそばにある。そのため石を積んで塔を作っても鬼が来て壊してしまうが、ここの賽の河原は極楽で、鬼は現れない。

弥次
弥次

お茶漬の 賽のかわらの 辻堂に 煮しめたような なりの坊さま

※お茶漬けのさいと賽を掛けている。ここの地蔵堂には醤油で煮しめたような(煮しめは菜の縁語)汚いなりをした坊さんがいる。

箱根の関所を通過

杉並木の街道の先に
箱根関所の検札所が見えてくる

それから<御関所(=箱根関所)>を通過して、「春風はるかぜの 手形をあけて(=関所通過の許可証を開き見せて) 君が代の 戸ざさぬ(=平和な)せきを 越ゆるめでたさ」――。

ここに歌を祝して、<峠の宿しゅく(=箱根宿)>にて喜びの酒をみ交わす弥次さんと喜多さんでした。

初編 完

📖本の基本情報

東海道中膝栗毛
『道中膝栗毛 8編続12編 [1]』国立国会図書館デジタルコレクションより
<原作>
書 名
 『東海道中膝栗毛』
あらすじ箇所 『東海道中膝栗毛 初編』(当初の初編タイトルは浮世道中膝栗毛
著 者 十返舎一九
版 元 村田屋治郎兵衛(栄邑えいゆう堂)
初版刊行年 1802(享和2)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
内 容 弥次さんと喜多さんがお伊勢参りを経て京都・大阪を旅する全八編のシリーズ作品。初編は江戸を出発し、箱根までの珍道中を描いている。

参考文献

●十返舎一九 作、麻生磯次 校注『東海道中膝栗毛(上)』初版1973年(岩波文庫 黄227-1)
●十返舎一九 作、平野日出雄 訳『東海道中膝栗毛【現代訳】第一部 品川~新居』1994年(十返舎一九の会制作、静岡出版発行)

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