【初編⑤】旅の二日目 宿泊編<小田原宿での長い夜>

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十返舎一九著『東海道中膝栗毛』のあらすじを現代語訳でたどる「原作ダイジェスト」をお届けします。
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この回で紹介する<小田原宿での長い夜>では、小田原宿(現神奈川県小田原市)に到着した弥次さんと喜多さんが、夜の旅籠でドタバタ劇を繰り広げます。果たして2人の顛末は!?

主人公

弥次
弥次
弥次郎兵衛(やじろべえ)
通称 弥次さん。旅の出発時点で、数え年の50歳(満49歳)。
妻を亡くした独り者で、能楽もの(なまけ遊んで暮らしている人)。旅先では次々と騒動を起こして失敗が尽きないが、口達者で洒落っ気があり、会話の中にたびたび教養をのぞかせる。
喜多
喜多
喜多八(きたはち)
通称 喜多さん。旅の出発時点で、数え年の30歳(満29歳)。
弥次さんの居候で、一緒に旅に出ることに。弥次さんの強烈なキャラクターと比較するとやや控えめだが、こちらも負けず劣らず失敗の尽きない人物で、似た者同士である。喧嘩っ早く口は悪いが、男前。
『東海道中膝栗毛』初編⑤
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小田原名物ういろうを食す

酒匂さかわ川を越えた先で早くも宿を決めた弥次さんと喜多さんは、宿引きをしていた亭主と一緒に<小田原のしゅく(=小田原宿、東海道九番目の宿場町)>にやって来ました。

道の両側からは留女とめおんなが、まるで小田原名物の梅干しのように口を酸っぱくして旅人を呼び立てています。

留女
留女

お泊りなさいませ、お泊りなさいませ

そのうちに、この宿場の名物ういろうの店が近づいてきました。

小田原のういろう店
ういろう店。江戸時代の店舗は関東大震災で倒壊したが、
お城のような外観を今も受け継いでいる。
喜多
喜多

ヨヤここの内(=家)は、屋根にでえぶ(=大分)でくまひくま(=でこぼこ)のある内だ

このういろう店は八棟造りで、お城のような外観をしています(上の写真参照)。

弥次
弥次

これが名物のういろうだ

喜多
喜多

ひとつ買てみよう。うめえかの

弥次
弥次

うめえだんか(=うめえどころか断然うまいに違いない)。あごが落ちらぁ

2人は小田原名物ういろうを前に、さぞかし美味しいお菓子だろうと、さっそく口に入れて食べ始めます。ところが…。

喜多
喜多

ヲヤ餅かと思ったら、薬店くすりみせだな

弥次
弥次

ハハハハハ、こうもあろうか

このういろう店では「薬のういろう」と「餅菓子のういろう」を販売しており、2人が食べたのは、万能薬として知られる薬のういろうのほうでした。

弥次
弥次

ういろうを 餅かとうまく だまされて こは(=これは)薬じゃと 苦い顔する

思わず味に、一首詠む弥次さんでした。

弥次さん喜多さんが立ち寄った小田原のういろう店(現株式会社ういろう)は、室町時代から代々外郎ういろう家が経営し、2024年現在の代表者は二十五代 外郎藤右衛門氏です。

株式会社ういろうの公式サイトによると、外郎家の先祖が中世に中国から京都に処方を持ち帰って作った薬が「ういろう」と呼ばれるようになり、さらに客への接待に用いる菓子を考案して、それが「お菓子のういろう」と呼ばれるようになりました。その子孫の一人が室町時代の1504年に京都から小田原に移住して(京都外郎家に対して小田原外郎家と呼ばれる)、京都の分店としてういろう店を開業します。

現在も小田原の外郎家は、小田原城麓の街道筋で薬とお菓子のういろうを両方販売しています。小田原土産としてもおすすめです。

ちなみにお菓子のういろうは、発祥こそ外郎家(本家は京都)ではあるものの、ういろうといえば名古屋が有名です。外郎家は元々薬の販売店で、お菓子のういろうも一緒に店頭販売するようになったのは明治時代になってからでした。それより早くに販売を始めたのが名古屋のういろう店で、独自の製法でシェアを広げて、”名古屋土産の定番”と言われるまでに地位を確立していきました。

宿の女房と下女のお出迎え

東海道筋のお休み処「小田原宿なりわい交流館」
街道筋のお休み処「小田原宿なりわい交流館」は
江戸時代からの小田原商家の建築様式を受け継いでいる

やがて宿屋に到着すると、宿の女房が「おはようございます」とお茶を2つ汲んで持ってきて、その間に下女がたらいに足洗い用のお湯を入れて運んできました。

弥次さんはこの女の顔を横目でちらりと見ると、小声で喜多さんに話し掛けます。

弥次
弥次

見さっし。まんざらでもねえの(=まんざら悪くもねえの)

喜多
喜多

あいつ今宵こよいぶってしめよう(=強引に情交しよう)

弥次
弥次

ふてえことをぬかせ。俺がしめるハ(=俺が犯すわ)

こうして女のことに頭がいっぱいになっているうちに、弥次さんは草鞋をとかずに足を洗ってしまいます。

真っ黒なお湯を前にして、愚痴を言いながら続いて足を洗う喜多さんでした。

飯を炊くのか?米を炊くのか?

小田原宿なりわい交流館内部
小田原宿なりわい交流館内部
昔の旅籠の雰囲気を留めているという

そこから座敷に向かった後も、2人のとりとめのない話は尽きることがありません。

弥次
弥次

ときにはらが北山だ(※腹がすいたの洒落)。今めしをたくようすだ。らちのあかねえ

喜多
喜多

コレ弥二さん、おいらよりゃァおめえへ文盲(=無学)なもんだ

弥次
弥次

なぜ

喜多
喜多

めしをたいたら、かゆになってしまうわな。米をたくと言えばいいに

弥次
弥次

ばかァぬかせ ハハハハハ

米を炊くと飯を炊くとで言い合っているうちに、そこへ下女が喜多さんに頼まれていた煙草盆を持ってきました。

喜多
喜多

モシあねさん。湯がわいたらへえりやしょう

弥次
弥次

ソリャ人のことをいう(=人のことを言っておいて)、うぬ(=てめえ)がなんにも知らねえな。湯がわいたら熱くて入られるものか。それも、水が湯にわいたら、入りやしょうとぬかしおれ

宿の女
宿の女

モシお湯がわきました。お召しなさいませ

弥次
弥次

ヲイ水がわいたか。ドレ入りやしょう

お湯が沸いたと知らせる女に、言葉尻を捕らえて「水が沸いた」と言い換える弥次さんでした。

上方の五右衛門風呂を体験

東海道中膝栗毛初編 五右衛門風呂の挿絵
原作初版の挿絵より 五右衛門風呂の場面

先に弥次さんが手ぬぐいを下げて風呂場に向かいます。

この旅籠屋の亭主はどうやら上方者かみがたもの(関西出身)らしく、そこにあるのは上方で流行っている五右衛門風呂と呼ばれる風呂でした。

五右衛門風呂は、土を盛ったかまどの上に、餅屋でどらやきを焼くような薄い鍋をかけて、その上に水風呂桶を乗せて、桶のまわりは湯が漏れないように漆喰で塗り固められています(上の挿絵参照)。

近江国(現滋賀県)の草津や大津あたりから西は皆この風呂で、蓋がなく、代わりに底板が上に浮いているから、底板が蓋の代わりになって、お湯が沸くのが早くなるのも特徴です。

※この長い風呂の解説は原作のとおり

湯に浸かるときは底板を下に沈めて入るのですが、弥次さんはこの風呂の勝手を知りません。浮いている底板を蓋と思い込んで外してから片足を踏み込んでしまい、釜の底が直にあたって足をやけどしてしまいます。

弥次
弥次

アツツツツツ、こいつはとんだ(=意外な)すい風呂だ

外で体を洗いながらまわりを見渡すと、雪隠(便所)のそばに下駄が置いてあるのを見つけました。こいつは面白いと、この下駄を履いて湯の中に入ります。

順番待ちの喜多さんが待ちかねて湯殿を覗くと、弥次さんは悠々と浄瑠璃をうなっていました。

弥次
弥次

お半涙のつゆちりほども♪

喜多
喜多

エェあきれらァ。どうりで長湯だと思った。いいかげんに上がらねえか

喜多さんが座敷へ戻ったのを見計らって弥次さんは湯から上がると、下駄を隠してから素知らぬ顔で喜多さんに風呂の交代を告げに行きます。

底板のない風呂に入る方法

天明元年創業の小田かまぼこ発祥の店「鱗吉(うろこき)」にはオープン囲炉裏に足湯がある
天明元年創業の小田かまぼこ発祥の店「鱗吉(うろこき)」
にはオープン囲炉裏に足湯がある

待ちくたびれた喜多さんは、早々に裸になって、一目散に水風呂桶へ片足を突っ込みます。

喜多
喜多

アツアツアツアツ、弥次さん弥次さん、大変だちょっと来てくんな

弥次
弥次

そうぞうしい、なんだ

喜多
喜多

コレおめえ この風呂へは、どうして(=どうやって)入った

弥次
弥次

馬鹿め。水風呂(=水風呂桶の浴槽)へ入るに、別に入りようがあるものか。まず外で金玉をよく洗って、そして足から先へ、どんぶりこ すっこっこ

喜多
喜多

エェ洒落なんな。釜がじき(=じか)にあって、これが入られるものか

弥次
弥次

てめえの見たとおり、今まで俺が入っていた

喜多
喜多

おめえどうして(=どうやって)入った

弥次
弥次

ハテしつこい男だ。水風呂へ入るのに、どうして入ったとはなんのことだ

喜多
喜多

ハテ面妖めんような(=不思議な)

弥次
弥次

むつかしいこたァねえ。初めの内ちっと熱いのを、しんぼうすると、後にはよくなる

喜多
喜多

ばかァいいなせえ。辛抱しているうちにゃァ、足が真っ黒にこげてしまわァ

弥次
弥次

エエらちのあかねえ男だ

弥次さんは心の内で面白がりつつ、こえられずに座敷に戻ります。

喜多さんもいろいろ方法を考えながらまわりを見渡しているうちに、下駄が隠されているのを見つけて「ハハァ、読めた」と心にうなずき、すぐに下駄を履いて湯に浸かります。

だんだん良い心地になって「あわれなるかな石どう丸は、ヅレレン ヅレレン♪」と石童丸の歌謡を口ずさみ始めます。

釜の底が抜けて大騒動に

しだいに尻が熱くなってきたので、立ったり座ったり、下駄でガタガタと踏み荒らしているうちに、喜多さんはついに釜の底を踏み抜いてしまいました。

べったりと尻もちをついて、湯はシゥシゥシゥシゥシゥと皆流れていきます。

喜多
喜多

ヤァイ 助け舟 助け舟

弥次
弥次

どうしたどうした。ハハハハハハハ

宿の亭主もこの音に驚いて、裏口から湯殿に走ってきて肝をつぶします。

亭主
亭主

コレハ又どうして底がぬけました

喜多
喜多

ツイ下駄で、ガタガタやったから

亭主が不思議そうに足元を見ると、喜多さんは雪隠用の下駄を履いています。

亭主
亭主

イヤァおまいは、とほうもない(=とんでもない)お人だ。水風呂へ入るに、下駄をはいているという事があるものでございますか。らっち(=埒)もないこんだ

喜多
喜多

イヤわっち(=わたし)も、初手は裸足しで入って見たが、あんまり熱いからさ

亭主
亭主

イヤはや にがにがしいこんだ(=不快なことだ)

大いに腹を立てる亭主を気の毒に思った喜多さんは、こそこそと体を拭いていろいろと言い訳を始めます。

弥次さんも気の毒に思ったので仲裁に入り、釜の直し賃として南鐐なんりょう一片(小判一両の八分の一)を支払い、亭主にお詫びをしました。

事が収まったところで弥次さんが一首

弥次
弥次

水風呂の 釜を抜きたる とが(=あやまち)ゆへに やど屋の亭主 尻をよこした

風呂での大失態を「釜を掘る喜多さん」と「尻をよこす亭主」と言い換えて、お色気を持たせる弥次さんでした。

※釜を抜く(釜を掘る)=男色を行うこと、釜は尻の異称。尻をよこした(尻をぬぐった)=失敗の責任をとらせた。

おかまを買うvs.女を買う

そのうちに膳が運ばれて食事をした後も、思いがけなく釜の直し賃を支払うことになった喜多さんは、洒落も無駄口も一向に言わず、大いにふさぎ込んでいます。

弥次
弥次

コレてめえ、なにもふさぐこたァねえへ。大きに(=大いに)とくをしたハ

喜多
喜多

なにがトクだ

弥次
弥次

釜をを抜いて(※男色と掛けている)、二しゅ(=朱銀、南鐐一片)では安い。よし町へ行ってみや、そんなこっちゃァねえ

江戸の芳町よしちょう(現日本橋人形町1~3丁目)には陰間かげま茶屋(男娼が売春する茶屋)があり、そこで”おかま”を買うより、風呂の釜代(修理代)のほうが安くてお得だというわけです。

喜多
喜多

エェ不洒落ぶしゃれなんな(=へたな洒落を言うな)、人の心も知らずに

たった二朱でおかまを抜いたのだと元気づけようとする弥次さんですが、実はこれにはもう1つの思惑がありました。ここでようやく弥次さんが話を切り出します。

弥次
弥次

イヤそれでも てめえがそんなにしていると、おらァ気の毒な事がある

喜多
喜多

なにが

弥次
弥次

さっきの女がのちに忍んでくるはずに、ふづくって(=話をつけて)おいたから、そばでてめえが気を悪くして、なおの事ふさぐだろうと、それがどうも気の毒だ

弥次さんは、最初に足洗い用のお湯を運んできた時から気に入っていた宿の女とすでに約束をとりつけて、後ほどこの部屋に忍んでくることになっていると明かします。

喜多
喜多

ヲヤほんにか(=本当か)。いつの間に約束した

弥次
弥次

さっきてめえが湯へ入っている時、げんなま(=現金)で先へおつとめ(=花代)を渡しておいたから、もう手つけの口印こうじるし(=接吻)までやらかしておいた。なんときついもんか(=えらいものだろう)、ヘヘヘヘヘヘ。そういっても色男はうるせえの。ハハハハハ、もう寝ようか

そこまでしゃべると弥次さんは、浮かれ気味で手水(便所)へと部屋を出ていきました。

女に男の嘘を吹き込む

小田原宿なりわい交流館内部
小田原宿なりわい交流館より

弥次さんが便所に行くのと入れ違いで、先ほどの女が布団を敷きにやって来ました。すかさず喜多さんは女に話し掛けます。

喜多
喜多

コレあねさん。おめえ おらがつれの男になにか約束をしたじゃァねえか

女

イイエ オホホ ホホホ

女は笑ってごまかします。

喜多
喜多

イヤ笑いごとじゃァねぇ。コリャァ内緒のことだが、あの男はおえねえ(=手に負えない)かさかき(=梅毒)だから、うつらぬようにしなせえ。おめえがしょって(=背負って)は、気の毒だから言ってきかすが、かならず沙汰さた無しだよ(=内緒だよ)

ひそひそと本当のことらしく話をすると、女は非常に驚いています。

その様子に喜多さんは図に乗って、あの瘡かき男は皮膚病で、足はでき物がひどく、ワキガが臭いこと、そのくせ執念深い男でかじりついたら放さないこと、口中が臭くて並んで飯を食うのも嫌でならないことなど、作り話を吹き込んでいきます。

そのうちに弥次さんが手水から戻ってくる気配を察して、女は「もうお休みなさいませ」と部屋を出ていきました。

弥次さんの長い夜

「鱗吉(うろこき)」より

座敷に戻ってきた弥次さんは、すぐに夜着を羽織って、寝支度を始めます。

弥次
弥次

ドレふところを、あっためておいてやろう

喜多
喜多

いめいましい(=腹立たしい)。今夜のように埋まらねえ(=つまらねえ)ことはねえ。やけどをして弐朱かねはふんだくられる。そのうえ、アノ美しいやつを、そばでだいて寝られて、ほんに踏んだりたりな目にあうハ

弥次
弥次

へへへへ、かんに(=堪忍)さっし。畜類め(=畜生め、嬉しくてたまらねえ)、ハハハハハハ。コレ北八、もう手めえ寝るか。もっと起きていねえ

美しい女を抱いて寝られることに浮かれる弥次さんを横目に、喜多さんはゴウゴウゴウと寝たふりをします。

喜多
喜多

ゴウゴウゴウ

弥次
弥次

もう来そうなもんだ

しかし一人しきりにまばたきをして、待てども待てども音もなし。うっかり先に銭を渡してしまったので、銭を棒に振るのではないかと弥次さんは気が気ではありません。こらえかねて手を叩き立てると、その音を聞きつけた宿の女将さんがやって来ました。

女房
女房

お呼びなさいましたか

弥次
弥次

イヤおめえでは分かるめえ。さっきここの女中に、ちっと頼んでおいたことがあるから、どうぞちょっとよこしてくんねえ

女房
女房

ハイあなたがたのほうへ出ました女は、雇人でございますから、もう宿やどかえりました

弥次
弥次

エエほんにか(=本当か)。そんならよしよし

女房
女房

ハイおやすみなさいませ

女将さんが去って行くと同時に、寝たふりで成り行きを見守っていた喜多さんはこらえきれずに笑い出します。

喜多
喜多

ハハハハハハハ ワハハハハハハハ

弥次
弥次

べらぼうめ 何がおかしい

喜多
喜多

ハハハハハハハハ、イヤこれで地にした(=損得なしだ)。もう安堵あんどして寝ようか

弥次
弥次

勝手にしやァがれ

女に渡した二百文を失って、せっかくの惜しい夜を”恋しや、恨めしや、おじゃれか無洒落か”――。

※おじゃれ=旅籠で客引きや売春をする女中のこと。無洒落(下劣な洒落)と掛けている。

こうして哀れな弥次さんは、これが喜多さんの悪だくみとはつゆ知らず、成すすべもなくころりと突っ伏して寝ることになりましたとさ。

続いて2人は箱根八里の難所を通過し、初編は完結へ

📖本の基本情報

東海道中膝栗毛
『道中膝栗毛 8編続12編 [1]』国立国会図書館デジタルコレクションより
<原作>
書 名
 『東海道中膝栗毛』
あらすじ箇所 『東海道中膝栗毛 初編』(当初の初編タイトルは浮世道中膝栗毛
著 者 十返舎一九
版 元 村田屋治郎兵衛(栄邑えいゆう堂)
初版刊行年 1802(享和2)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
内 容 弥次さんと喜多さんがお伊勢参りを経て京都・大阪を旅する全八編のシリーズ作品。初編は江戸を出発し、箱根までの珍道中を描いている。

参考文献

●十返舎一九 作、麻生磯次 校注『東海道中膝栗毛(上)』初版1973年(岩波文庫 黄227-1)
●十返舎一九 作、平野日出雄 訳『東海道中膝栗毛【現代訳】第一部 品川~新居』1994年(十返舎一九の会制作、静岡出版発行)

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