【二編①】旅の三日目中盤<箱根峠~甲石坂>

十返舎一九著『東海道中膝栗毛』現代語訳
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この回(二編①)では、箱根宿(神奈川県箱根町)を出発した弥次さんと喜多さんが、次の宿場・三島宿(静岡県三島市)に向かって箱根峠を下っていきます。

主人公

弥次
弥次
弥次郎兵衛(やじろべえ)
通称 弥次さん。旅の出発時点で、数え年の50歳(満49歳)。
妻を亡くした独り者で、能楽もの(なまけ遊んで暮らしている人)。旅先では次々と騒動を起こして失敗が尽きないが、口達者で洒落っ気があり、会話の中にたびたび教養をのぞかせる。
喜多
喜多
喜多八(きたはち)
通称 喜多さん。旅の出発時点で、数え年の30歳(満29歳)。
弥次さんの居候で、一緒に旅に出ることに。弥次さんの強烈なキャラクターと比較するとやや控えめだが、こちらも負けず劣らず失敗の尽きない人物で、似た者同士である。喧嘩っ早く口は悪いが、男前。

『東海道中膝栗毛』二編①

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笛と太鼓で二編の幕開け

鴨長明の「東海道記」(※)では、この浜を過ぎれば松に雅琴がぎんの調べあり、なみつづみの音ありという。しかし現実は、駕籠かきが竹笛ならぬ息杖(竹の杖)をつけば、助郷の馬は腹太鼓を叩く。

「東海道記」とは、鎌倉時代の紀行文「海道記」のこと。かつては歌人・鴨長明が作者と言われていたが、現在は否定され、作者は不明。「この浜を過れば、松に雅琴あり、波に鼓あり、天人の昔の楽今聞に似たり」の一文を引用し、十返舎一九は江戸時代の道中と比較しながら、滑稽にその落差を描いている。

膝栗毛二編の序びらきも、笛と太鼓で狂言風に、ヒヤリヒヤリ、てれつくてれつく、すってんてん。

狂言師
狂言師

かようそうろうものは、お江戸の神田の八丁堀辺に住居すまいせし、弥次郎兵衛、喜多八と申す、なまけものにて候

狂言師
狂言師

さてもわれわれ、伊勢へ七度ななたび、熊野へ三度さんど愛宕あたごさまへは月参つきまいり大願だいがん(=大きなことを成し遂げようという願い)を起こし、ぶらりしゃらりと出かけ、根っから急がず候ほどに、えいやっと箱根の駅に着きて候

謡

玉くしげ、箱根の山のつづらりつづら折り(=幾重にも折れ曲がった道)、にや(=本当に)久かたの甘酒売や山椒魚さんしょうおの、名所などころ多き山路かな

箱根峠の甘酒茶屋で一休み

狂言のうたいのとおり、つづら折りの山道をたどって、道中に見えてきたのは、箱根峠の甘酒茶屋です。

甘酒売りのおやじ
甘酒売りのおやじ

名物あがらしゃいませ。甘酒飲ましゃいませ

喜多
喜多

弥次さん。ちっと休みやしょう。おい、一盃くんな

弥次さんと喜多さんは少し休もうと、店先の床几しょうぎに腰をかけます。店のおやじは甘酒を茶碗に1杯ずつくんで、2人に差し出しました。

ここで2人がおとなしく飲んで立ち去るはずはなく――

喜多
喜多

こいつは黒い黒い

弥次
弥次

黒いようで甘いは、遠州浜松じゃあないか

※「遠州浜松、広いようで狭い」の唄のもじり

喜多
喜多

わりい悪い(=その洒落は下手だ)。コウおめえ、なぜ飲まねえ

どうやら弥次さんは、まだ甘酒に手を付けていないようです。

弥次
弥次

おいらァ嫌だ。その茶碗を見や。施主せしゅの気がきかねえよ。朝顔なり(=朝顔の形をした茶碗)にでもすればいいに

出された茶碗が貧弱だと感じた弥次さんは、葬式で施主から甘酒をふるまわれるのになぞらえて、せめて葬式で出す朝顔の形の茶碗にすればいいのにと冗談を言いだします。

喜多
喜多

そうさ。これじゃあ強飯こわめし(=蒸して作った硬めの飯)のこうの物(=漬物)も、奈良漬じゃああるめえの

喜多さんも葬式で出される白い強飯と漬物の名を出して、一緒に冗談を言いだします。

そこへ――

店のおやじ
店のおやじ

香の物はござらねえが、梅干しよをしんぜますべい

2人のやりとりを聞いていた店のおやじは、心の内で何を思ってか、皿に入れた梅干を差し出します。

喜多
喜多

おいおい、いくらだぇ。サァお世話

梅干を出された喜多さんはお勘定をお願いし、さっさと店をあとにするのでした。

馬方は愉快な馬子唄を歌う

甘酒茶屋を出ると、向こうからは小荷駄こにだ馬がひきもきらず、鈴の音をシャンシャンシャンと鳴らしながら、馬方うまかたは「馬子まごの唄」(馬をひきながら唄う歌)を歌いながらやって来ます。

馬方
馬方

♪富士の頭がつん燃える。なじょに(=なぜか)煙がつん燃える。三島女郎衆 がらら打ち込み(=すっかり惚れ込み)、こがれおじゃったらつん燃えたア。しょんがえ、ドウドウ

この唄に出てくる三島宿の女郎は、富士山の雪解け水で化粧をするので美しいと言われています。そして今度は馬方同士がすれ違い、互いに言葉を交わし合います。

こちらの馬方
こちらの馬方

ヒヤァ、出羽宿の先生どうだ

馬方は、お互いに出身地で呼び合うのが習わしです。「どうだ」と聞かれた出羽宿出身の馬方は、どうやら「先生」呼びが気に喰わず――

向こうの馬方
向こうの馬方

べらぼうめ。おれが先生なりゃあ、うぬは はっつけ(=はっつけ野郎、はりつけの罰にされるべき者)だァ

馬

ヒィン、ヒィン

そんな会話を聞きながら、弥次さんと喜多さんはその横を通過します。

御殿女中の面前で恥をさらす

今度は向こうから、お大名の国からお江戸入りする御殿女中たちが空駕籠をかつがせて、四~五人で騒がしく歩いて来ます。

弥次
弥次

おやおや、偉い偉い(=お大名の女中たちだ)

喜多
喜多

ほんに(=本当に)これはみな生きた女だ。奇妙奇妙。なんと弥次さん、つかねえこったが(=唐突なことを聞くが)、白い手拭てぬぐいをかぶると、顔の色が白くなって、とんだいきな男に見えるということだが、本当かの

弥次
弥次

そりゃあ、ちげえなしさ

どこで聞き及んだのか「白い手ぬぐいを頬被りすると、色白の粋な男に見える」という噂話を真に受けた喜多さんは、「よしよし」と着物の袂から手ぬぐいを出して、ぐっと頬被りします。すると、通りすがりの女中たちは、喜多さんの顔をのぞき見て、皆笑いながら通り過ぎていきました。

喜多
喜多

なんと、どうだ。今の女どもが、おいらが顔を見て、うれしそうに笑っていったわ。どうでも色男は違ったもんだ

笑われているのを「色男に見られている」と勘違いして喜ぶ喜多さんに、弥次さんは思いがけない言葉を返します。

弥次
弥次

笑ったはずだ。てめえの手拭いを見や。木綿真田もめんさなだのひもが、さがっていらァ

なんと弥次さんが頬被りしているその布は、真田紐がたれさがったふんどしだったのです。

喜多
喜多

ヤァヤァ、こりゃあ手拭いじゃあねえ。越中ふんどしであった

弥次
弥次

てめえ夕べ、風呂へ入るとき、ふんどしを袂へいれて、それなりに忘れたはおかしい。大かた、今朝手水ちょうずを使って、顔もそれで拭いたろう。汚ねえ男だ

喜多
喜多

そうよ。どうりこそ(=道理で)わる臭い手ぬぐいだと思った

喜多さんが「夕べ、風呂へ入るとき」といえば、小田原宿で五右衛門風呂の入り方が分からず、釜の底を踏み抜く大失態を犯した時です(【初編⑤】)。

まさか「釜を抜く(釜を掘る)」騒動の尻ぬぐいでせわしなくしていたのが、こんなところまで尾を引いているとは――

弥次
弥次

なに、ぜんてえ(=全体)てめえが、あたじけねえ(=けちくさい)から、こんな恥をかくわ

喜多
喜多

なぜ

弥次
弥次

木綿(のふんどし)をしめるから、手ぬぐいと取違えるわ。コレおいらァ(のふんどしを)見やれ、いつでもきぬのふんどしだ

喜多
喜多

それだとって、やね屋がながつぼね(=御殿女中の住まい)の葺き替えに行きゃァしめえし(=行くんじゃあるまいし)、絹をしめることもねえす。ええままよ。旅の恥はかき捨て(=その場限り)だ。こう(=こんなこと)もあろうか

ふんどしを頬被りして御殿女中に笑われて、色男から一転「汚ねえ男」の汚名を着せられた喜多さんは、「旅の恥はかき捨て」とすっかり開き直っています。しかし恥さらしなのは疑いようがなく――

弥次
弥次

手ぬぐいと 思うてかぶる ふんどしは さてこそ恥を さらしなりけり

※晒し布と恥をさらすを掛けている

難所の甲石坂で一首

こうして峠の急坂を進んでいくうちに、街道筋の甲石かぶといし坂にある「かぶと石」の前までやって来ました。

「かぶと石」は、かぶとを被せたような三角形の大きな石で、豊臣秀吉(人物は時代によって諸説あり)がここに兜を置いて休息したことからこの名前で呼ばれるようになったと言い伝えられています。

石を見て弥次さんが一首――

弥次
弥次

たがここに 脱捨ぬぎすておきし かぶといし かかる難所に 降参やして

※かぶと石のある甲石坂が急な坂道の難所であることと、「兜を脱ぐ=降参する」を掛けている。

箱根の山の下り坂は、まだこの先も続いていきます。

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📖本の基本情報

<原作>
書 名
 『東海道中膝栗毛』
該当箇所 『東海道中膝栗毛 二編』(当初のタイトルは膝栗毛 後編
二編の初版刊行年 1803(享和3)年
著 者 十返舎一九
版 元 村田屋治郎兵衛(栄邑えいゆう堂)
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
内 容 弥次さんと喜多さんがお伊勢参りを経て京都・大阪を旅する全八編のシリーズ作品。二編は箱根宿を出発し、岡部宿に到着するまでの珍道中を描いている。

参考文献

●十返舎一九 作、麻生磯次 校注『東海道中膝栗毛(上)』初版1973年(岩波文庫 黄227-1)
●十返舎一九 作、平野日出雄 訳『東海道中膝栗毛【現代訳】第一部 品川~新居』1994年(十返舎一九の会制作、静岡出版発行)

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