式亭三馬『浮世風呂』
江戸の銭湯「浮世風呂」では、近隣の町人たちが世間話をしながら湯に浸かる。男湯が混雑する朝湯の時間が過ぎると、続いて女湯に次々と客が訪れる。そんな昼前の時間帯から二編(女湯之巻)は幕を開ける。
二編(女湯之巻)①の主な登場人物

さみ(三味)
18~19歳の芸者で、三味線弾きであることから、お三味さんと呼ばれている。原作で彼女の会話は「おさみ」「さみ」と記される。(※現代仮名遣いでは「しゃみ」になるが、あえて旧仮名遣いのまま「さみ」と表記する。)

たい(鯛)
芸者が出入りする料理屋の娘で、お鯛さんと呼ばれている。顔なじみのお三味さんとは、銭湯でおしゃべりをする仲である。原作で彼女の会話は「おたい」「たい」と記される。

ばち(撥)
30歳くらいの芸者で、お三味さんの仕事仲間。三味線を鳴らすバチの名から、お撥さんと呼ばれている。原作で彼女の会話は「おばち」「ばち」と記される。
現代語訳
朝湯より昼前のありさま
物もらいの百さえずり――多くの鳥がいろいろな声でさえずるように、種々の物もらいが風呂で祓詞や題目を唱える。

一切成就の祓い、極めて汚きも滞り無ければ穢者はあらじ。内外の玉垣、清浄しとまうす

一天四海皆帰妙法、南無高祖日蓮大菩薩。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

願くは此㓛徳を以て普く一切の衆生に及さん、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
浄土宗やら、法華宗やら、さまざまな宗派が一堂に集う女湯の障子を開けて、「オォ寒い」と言いながら肩をぶるぶるとふるわせて脱衣所の板間へと入って来たのは、芸名を「××文字」や「豊××」(※)とすることになっている十八~十九歳の芸者、お三味である。
※「××文字」という芸名は常磐津節の常磐津文字太夫の「文字」の字から、「豊××」という芸名は富本節の家元富本豊前太夫の「豊」の字からもらい受けている。例えば二編②では、お三味の会話の中で「猫文字さん」と「豊たぼさん」が登場する。
今から風呂に入るお三味は、斧と琴と菊の絵柄で「良きことを聞く」(※)と謎を込めた近頃流行りの謎染めの浴衣を抱えて、お鯛さんという料理屋の娘らしき人に話し掛ける。


おや、お鯛さん、お早うございますネ。夕べはさぞおやかましう(=さぞかし騒がしかったでしょう)

アイ、夕べはお眠かったろうネ。いつでもあの生酔さんは夜がふけるねぇ(=夜更かしよねぇ)
昨夜も遅くまで客の相手をしていた芸者のお三味と、その料理屋の娘であるお鯛は、いつもこの時間に銭湯で顔を合わせる間柄である。二人はそのまま常連客たちの話に花を咲かせる。

アイサ、それでも生酔さんは癖がなくて良い上戸(=酒飲み)さ。粕兵衛さんのように酒乱でないからいいよ。あれからネ、わたしを送ってやろうとって(=やろうと言って)、新道のまがり角ですべったり何角ァして、とうとう内の前まで送ってさ

いい気ぜんな(=気前がいいね)。きつい(=大変な)世話やき爺だネ。呑助さんのへぼ拳(=下手な拳遊び)と、飲六さんの悪ふざけにはおそれるねぇ(=閉口するね)
(良い酒飲みの生酔さんに、酒乱の粕兵衛さん。拳遊びが下手な呑助さんに、悪ふざけな飲六さん。皆酒を飲む時の特徴をとらえた名前になっている。)

さようさ、酒香さんの甚九(民謡の一種)も騒々しいよネェ

いつでも終いはイビキさ。おや、おまえもうお仕舞(=髪結)が出来たネ
「終い」から「仕舞」へと、話は髪結へと移り変わる。

アイ、今朝お櫛さんが一番に来てくれたからサ。おまはん(=お前さん)のは誰にお結いはせだ(=誰に結ってもらったのか)

お筋さんさ

いっそ恰好がよいネェ

なァに、今朝は替わりだから(=結い手が変わったから)、勝手が違っておかァしい気持ちさ

人が替ると上手でも悪いものさ。あっちを向いてお見せ。おや、いっそ(=本当に)よいがネェ
すでに風呂を終えて帰り支度を整えているお鯛さんの髪結がいつもより上出来だと褒めるお三味に対し、お鯛はお三味さんの髪結が少し気になるらしく――

位置(髻を後ろへ折り曲げて前へ折り返した部分)が上り過たじゃァないかネ

いいえ、ようございます

ハイ、おゆるりと(=では先に行くのでゆっくりしていって)
そう言って、お鯛は戸棚から駒下駄を降ろして、門口に出かかる。

ちっとお寄んなはいましな(=寄っていきませんか)、宿(=私の家)に母が居りますよ。ハイさようなら
お三味もお鯛に一方的に言い捨てて風呂に入る。
あとから来たのは、これも同じ仲間と見える三十ばかりの芸者、お撥である。彼女は眉毛の上に小じわがたまって、鼻の脇のしわもだんだん深く崩れ込んで、色つやは薄黒く、白歯も黄色くなったけれど、羊毛のように短くまばらに生えた眉毛が無理に整えられているために、顔中の七難を隠すというやつである。
中折り下駄をガタガタといやに騒がしく履き捨てて、湯番のかみさま(番頭さん)に挨拶し、浴衣を放り出して、帯をときながら、風呂の方へ向かい、きんきんと高く響く声で――

お三味さん、お三味さん
と呼んだが、どうやら聞こえておらず。風呂の中で最前にいるお三味の耳元でもう一度――

お三味さァん。つんぼうめ(※耳が聞こえないのをののしった言い方)

アイヨウ、お撥さんか。お早いの

お早いじゃァねぇわな。おめえという者はしょにん(=不親切)な者だの。そうしなせえ(=そのままの態度でいたらいい)。随分付き合いを知らねえがいいのさ。あれほど『待って居てくんな』と言うのに(=言ったのに)
お撥は、お三味さんと風呂に行くのにあれほど「(家で)待っていてくんな」と言ったにも関わらず、先に行かれてしまって態度が悪い、思いやりがないと腹を立てている。しかしお三味にも言い分があるようで――

それでも、おめえのお飯は垨が明ねぇものを(=いつまで経っても食べ終わらねぇから)

アイサ、大喰だからね。左様さ。至極お前さまのがごもっともな筋さ
お撥は大食いで食べ終わるのが遅いこと、それで家を出るのが遅くなったことをあっさり認めつつ、そのまま湯に入って会話を続ける。
本の基本情報
<原作>
書 名 『諢話浮世風呂』
該当箇所 二編 巻之上 女中湯之巻
著 者 式亭三馬
初版刊行年 1810(文化7)年
ジャンル 滑稽本(笑いを目的にした大衆小説)
<底本>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
<参考文献>
●『新日本古典文学大系86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』1989年、岩波書店
●磐城まんぢう 訳『式亭三馬 諢話 浮世風呂』2023年、宝虫プロダクション
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